silence
7年後の自分のこと
夢を諦めた人間からごちゃごちゃと言われる毎日他のことは笑顔でかわせてもこの手の話はどうも憤ってしまって相手が何もいえなくなるくらい酷いことを言ってしまった夢を諦めるに至った他人の一言がくじけるようなものじゃなかったから7年後の自分の横にいるのはこの人じゃない39歳でしょっちゅう海外出張なんかに行く仕事に生きる未婚女性は「結婚したいなら仕事は真剣にやるな」と言う何だか切実だだからって鵜呑みにするわけじゃないけれども
29歳
今は鈴鹿先生の言う通り これから先を見つめる大事な時期なんだと思う。新卒で人生決まるなんて言う人もいる。私は何がしたかったんだろう、ここのところそればかり。ネモケンに何でこの学校に入ったのか、学園祭の時に聞いたら「幸せでいたいから」と言ってた。その純粋な動機がなんだかとても羨ましくて。写真が好き。撮ってる時も焼いてる時もすごく楽しい けど 今のバーテン業も楽しいし 絵を描くのも好きだし 色々あって、どれか一つに絞らなきゃいけないとしたら?どれも選べない。さゆりの言葉を引用しよう。「あたしも含め、人は何かを絞ろうとしてしまう。写真をやっているのに音楽ばかり。とか。 アパレルと写真どっちが本命とか。でもいちいち分離しなくてもいいじゃないか。全部繋がっているんだもの。あたしの一部なんだもの。 」
ブッダを読んで。ブッダが悟りを開いたのは29歳。ブッダでさえその歳なら 若輩者の私はまだ迷っていてもいいんじゃないか。高校の時に命子と誓ったのは「教科書に載るクリエイターになること」壮大すぎて笑っちゃうよね。少し先の自分が幸せでいられるために 私は今何を選ぶべきなんだろう。29歳にははっきりとした道が 見えるのだろうか。
「想」
最終課題は、好きな写真もたくさんあって もちろんおもしろかったりもしたんだけど
3年にもなると 職としての写真を捨ててる人も多い 多分私もそうだ
道を踏み外してばかりな気がしてたけど どうやら予想していた通りに歩んでいるみたいな気がする
踏み外してたような気がしたのは多分 見失ってただけで 迷うことすら出来ないような気がするの
私は一体何がしたかったんだろうな
智子の「想」に、泣きそうだった 亡くなった親族を思う心
「悲しみにくれる日々じゃなく、想い続ける日々に変えよう」
普段心の内を見せたがらないあの子が 写真に込めていたのを見て
何だかすごく泣けたんだった
みんな写真、すき?
私はここに居ても、専門的な場所にいても まだ別のことが出来るような気がしているの
それは逃避に違いないんだろう 決まったような気がした覚悟はいとも簡単に崩れ去る
私は何がしたいんだろう ね
密かに嬉しい
下の名前を呼び捨てにされること
今の店ではスタッフはみんな呼び捨てにしてくれるの
何故か中学生の頃からさん付けで呼ばれていたので
学校でも呼び捨てにしてくれる人はそんなにいないし
何だか家族が増えたみたいで嬉しい
付き合ってる子からさん付けで呼ばれることも多々あって
もし将来結婚してもあすかさんって呼ばれるって
結構おもしろいけど やっぱり呼び捨てがいいよね
絶滅種
ゆうべ焼いてる途中印画紙の残り枚数が少なくなって値上がりしている銀塩素材のことを考えると憂鬱になってしばらく呆けてしまった1年の頃はもっと色んな種類があった 温黒調とかさそういうものを手に入れるのに 今は色んなところを駆けずり回らなきゃならないOHPシートが出てきて、リスフィルムが不要になってそれでも楽しいから 文字入れには必ず使っていたけれども高校の時もシルクスクリーンの材料を手に入れるのに 立川の世界堂になくて いつも新宿まで出向いてた色んなところでマイナーアートの材料を探して見つけた時は買いだめしたりとかしてそう思うと 東京でこんなに品薄なのに地方の人はどうしてるんだろうなんて思ったりもしたんだ今のうちに買いためて 10年後にも期限切れの印画紙をチビチビ使ってるんだろか銀塩素材を食べながら 生き残るにはどうしたらいいの
Alcoholism
その果ては。若い頃に浴びるように酒を飲んでた、ある日体がブルブル震え出して急性アルコール中毒になったので救急車を呼んだ。でも次の日仕事だったのでスーツ着てネクタイ締めて救急車を待ってたら救急隊は怒って帰ったらしい。そんな急性アル中いるか。で、一緒に来たパトカーに「乗ってみたかったから」と勝手に後部座席に乗り込んだら 連れていかれて一日拘留。という毎日来る常連のおじいちゃんがいる。毎日ボウモアをストレートで飲む、そして寝る、たまに立ったまま寝る。ファンキーだ。