silence
2005/01/21
  るり





夜、瑠璃と会った。写真の学校に行きたいから、お金を稼ぐために最近キャバクラから風俗に転向したという。写真に対して無垢な瑠璃の言うことは何だかとても染みた。「見ることは認めることだと思う。私が色んなものの存在を見ることで認めたい・・・愛をもって。」 18なのに家を出てて、今は居候生活。今までは何もないから強かったけど、今は守りたい大切なものがあるからと言ってた。男なんてすぐ落ちるから人を好きになったことがないという。何だか、瑠璃と話してるとプラトニックセックスを読みかけているような気分。堕ちてくこともわかってる。でも目標があるから。今はこれ以上ないくらい稼いでる。でも毎日毎日知らない人とすれ違って自分の中を人が通過していって・・・そんな彼女の写真はとても強いようでいてすぐに脆く崩れ去りそうでもあった。この子はこれからどんな風に生きていくんだろう。

居酒屋出て、瑠璃の家に行ったら家主の健作がウズベキスタン人のベギゾットと一緒に帰ってきた。酔っ払い外人はおもしろくて仕方なかった。ロシア語で乾杯して。お酒のZIMAは冬という意味らしい。ZIMAは鍋したくなるね。最近大鍋買って6人前くらいなら賄えると思うからご飯食べにきてねと言ってた。私たちのアンパンマンやドラえもんは、べギにとってのチェブラーシカだった。それにしてもテンション高い人でした。



 
2005/01/12
  無とニュアンス



一年くらい前に立ち飲み屋で知り合った人。それ以来会ってない。変なじいさんだった。その歳になってもパーグラムマーケットで古着を買ってしまうようなかわいらしいじいさんだった。その頃報写の学外展の写真が撮れなくて鬱々してたから、そんな話をしたら「無になることなんだよ・・・!赤ちゃんの心でな、シャッターを切るんだ」と言われた。とにかく無になれ、と。その立ち飲み屋には写真がたくさん飾ってあって、その論評したりした。「この写真はな、ニュアンスがな」とニュアンスという言葉を連発してた。無になるにはどうしたらいい?と聞いたけど「無になることなんだよ、要するにな。何も考えずにな。」と、結局明確な答えには導いてくれなかった。あの歳で、あの境地でも見出せなかったものらしい。

無になることって結局なんだ?



 
2005/01/11
  朝の続き










夜のことを思い浮かべるのは夜じゃないかも知れない。というさっちんの言葉。朝のことを思い浮かべている今は、夜。
もう今日みたいな朝は二度と来てほしくない。と、思う。朝焼けは別として。 朝型に戻りたい。



 
2005/01/07
  流れる








大きすぎるものを見てると死にたくなる。小さいものを見てると・・・生きていてもいいと思う。という言葉が印象的だった。人間が砂みたいに小さくて意味のないものに思える。
流れるようにして東京タワー近辺を歩いた。あんなでかい建造物を見失って、大門から海っぺりに出てしまった。雨が降ってるのに傘もささずにほっつきあるいている小娘を見て浜松町で働く人たちはどう思うのだろう。リーマンの街、例えば赤坂見附なんかを歩いてると敷居が高い感じがする。みんな黒いロングコートにえんじ色のマフラーと似通っているけどきちんとした格好をしているから。でも、新宿では何をしててもいいと思う。ホームレスもいれば田舎くさいおばちゃんもいるしキビキビ働くリーマンもいるしヤクザもキャバ嬢もニューハーフも変態もカメラ小僧も。そういう人が少しずつ割合を占めて、結局のところ新宿全体では平均というものがなくなる。色んな人が集まるから、流れるから、それについていけなくて吹き溜まりに溜まる人もたくさんいて。だからこそ落ち着くし、だからこそ落ち着かないとも思う。とりあえず赤羽橋は落ち着かなかった。

 
2005/01/03
  お正月
労働始めた16歳の時から人々が休む時には働いてた。お正月にも外食したい家族はたくさんいるし、正月にもコンビニはなきゃ困るし、正月だからこそ飲みたい気持ちもよくわかる。いつもお世話になってるから世の中の人が楽しく過ごせるように、働く底辺になる。元旦の夜中に舞ちゃんと西友にヨーグルトとチョコレート買いに行ったら、当たり前のように開いてて「年中無休24時間」の旗が翻ってた。でもレジの人の顔を覚えていない、感謝もせずにその無名の労働力を当たり前のようにこき使うのもあたしなわけで。昨日や大晦日は何人かに「こんな時も働いてて偉いね」と言われた。こんな時でもないと感謝されることもないし、元旦の朝っぱらから働くコンビニの店員を切なく思うことも、感謝することもない。正月でも当たり前のように閉店する時には蛍の光が流れるし、労働してると正月とは関係なく時が過ぎる。
小学生くらいの時は、正月は本当にどこもあいてなくて家で過ごす他なかった。年末に大掃除して、三が日過ごすようの買出しに行ったことをよく覚えてる。御節を食べて御屠蘇飲んでかしこまって新年の挨拶をして。便利じゃなかったから、そうやって過ごすしかなかったころは国民みんなが休んでいて(郵便局は働いてたかな)また新たな年を迎えてたんだと思う。今更節目を大事に過ごすことの大切さがわかってきた。暇ができたら初詣行こう。

 

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